2015年10月15日木曜日

いわき市の現状(ふくふく参加者の手記)

ふくふく参加者の方が寄せてくださった手記です。


今夏のふくふく報告書には別紙ではさみ、関わってくれた方へは、お届けしました。

ネットに載せるかどうかというところはとても悩みましたが、手記を寄せてくださった方の「大いにご活用ください」という言葉に押され、このブログに載せることにしました。

下の方に、私(ふくふく代表)のコメントも載せています。受け取り方は様々だと思いますし、広大な福島県の中では状況も本当に様々です。それをふまえた上で、あくまでもこの事例のみに対する私の個人的な感想を述べました。


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今回参加されたZさんから、「福島県いわき市の現状」についてお話を伺いました。
  ご本人の了承のもと、こちらにご紹介させていただきます。


「東電福島第一原発事故による帰還困難区域からの避難者の情況」

-福島県いわき市に避難している人たちの苦悩-



 私はいわき市で被災者支援の仕事をしています。仕事内容は主に、東電福島第一原子力発電所の事故で、政府から避難を強いられた人たちへの支援です。

帰還困難区域のA町の住民のほとんどは、福島県いわき市に避難しています。いわき市は、A町と気候が似ていています。いわき市の人口は、A町から以外にも帰還困難区域の村町から避難して来られている方々が多いので3万人以上増えました。



 いわき市は今、避難してきている人たちといわき市民の軋轢が激しく、それは時には差別を生んでいます。

避難している人たちは、自分が避難していることを隠し、いわき市民の目に怯えながら暮らす人がとても多いです。

避難してきている人たちは、国から一人当たり月々10万円の精神的賠償金をもらっています。子供も1人として貰えるので、5人家族であれば月々50万円の精神的賠償金をもらっていることになります。

いわき市自体はそうした精神的賠償の対象地ではありませんから、妬みの対象になります。

今、いわき市の土地の価格は値上がりし、震災前の倍以上の値段がつくことも珍しくなくなってきました。いわき市の地価の上昇率は全国でも上位を占めています。従って、いわきの土地はとても普通のいわき市民には手が出せる状況にありません。いわき市民の根底には、私たちだって被災者なのに…と言う感情が渦巻いています。

帰還困難区域からいわき市に避難してきた人たちの中には、高い土地を買い立派な家を建て、高級な車に乗って暮らす人も少なくありません。そういった華やかな見た目だけのことで、余計に妬みを買ってしまうのだろうとも感じます。

 ところが、私が避難している方々の家を11軒 訪問してみますと、とても羨ましいなどとは思えません。

日常を失った人はこんなにも苦しむものか…と、ただただ原発事故の被害の大きさを実感する毎日です。

 人間の本当の幸せとは?

お金とは、私たちにとってどのようなものなのだろう?

そして私たち人間に本当に大切なものとは一体何であるのだろう?

原発事故は、現代に生きる私たちに重要な問いを投げかけています。

 いわき市に避難して来ている人たちは大きな苦しみの中にいます。愛する故郷は原発事故により奪われ、故郷の家には泥棒が入り、ネズミやイノシシに荒らされて、深く傷ついています。「帰りたい! でも帰れない」、その言葉をよく聞きます。

避難先では避難しているということを知られないようにして過ごしている人も多くいます。

もし知られたら、どう思われるか、何を言われるか、どんな嫌がらせをされるか…。

実際にいわき市民からの嫌がらせは少なくありません。

新築の家を建てたものの、嫌がらせを受け、地域に馴染めず家を売り払って出て行く人の話も何度か聞きました。仮設住宅の柵を斧で壊して歩かれたということも聞きました。仮設住宅の後ろにある道は、周辺住民の意見により、A町住民は通行してはいけない…と言われ、通行する事ができません。精神的に参ってしまう人も多くいます。

また今は仮設住宅や借り上げ住宅から復興住宅や、住宅再建の過渡期でもあります。残念ながらそこでも格差が出てしまい、住宅再建ができる老人などは、妬みからお友達や知人との縁がぶつぶつと切れていくところもあります。

これから仮設住宅に残っていく人たちは、本当に支援が必要な人たちと思われます。



 そうです。
 原発事故の最大の不幸は、人との縁がぶつぶつと切れていくことです。それは、今まで暮らしていた地域住民とのつながり、あるいは家族や友人とのつながり、同じ県民同士のつながり...など。

人は人とのつながりなくしては生きていけません。
政府は私たち福島県民に、なんて事をしてくれたのだ!!

私たち福島県民は深く傷ついています。海の物は汚染され、山の物も汚染され、もう元には戻らないでしょう。原発避難区域の民俗芸能文化も伝承の危機にあります。福島県民は県内でお互いにいがみ合い、心がすさんでいます。

 いわき市で皆が仲良く暮らすためには、お互いをよく理解する事が必要だと感じます。
しかし、なかなかお互いの情報を交換できる機会はありません。


私はいわき市の人々に、避難して来ている日常を失った人たちはとても苦しんでいるんだよ
...と、それは見た目とは全然関係ないんだよ...と、地道ながら伝えることをしていきたいと思っています。そして、避難して来た方々には、今まで本当に大変でしたね、共に歩んで行きましょうと、伝えたいと思います。

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【Zさんからのお話を伺って・・・】

震災5年目を迎えた今、もちろん復興へと一歩ずつ進んでいる場所もたくさんあり、多くの人は震災前の日常を取り戻しています。しかし、解決されず残されてしまっている問題は、月日が経つにつれ、解決するどころか、より一層複雑で見えにくいものとなっているのでは、と感じました。


自分の家のことなのに、自分で決めることができないというもどかしさ。
一年後の自分がどこで生活しているか想像できないむなしさ。
地に足のつかない状態で、働く意欲をわかせるという事のむずかしさ。
家に残した大切なものが刻一刻と荒れていっているくやしさ。

原発事故で被害に遭われた方々は、たくさんの負の感情と長きにわたりともに暮らしていかねばなりません。これだけのたくさんの問題を、個人で解決するのはとてもとても難しい事だと思います。かといって、県外の私たちが画期的な解決方法を思いつくというわけでもありません。
Zさんのおっしゃるように、互いの理解を地道に進めていくしかないと、私も思います。

それぞれ立場の違う者同士、少しの思いやりの心を持ち、相手を理解しようとつとめ、一つ一つ問題を小さくしていくことで未来へつながるのだと。Zさんから今回のお話を伺い、「つながり続けよう」と思いを新たにしました。

















































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